昭和五十二年一月二十四日 朝の御理解


 御理解第四十五節
「世に、三宝様踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがむ。人間は、身代ができたり、先生と言われるようになると、頭をさげることを忘れる。神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。
とかく、出るくぎは打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。天は高いから頭を打つことはあるまいと思おうけれど、大声で叱ったり手を振りあげたりすることはないが、油断をすな。慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ。」


 四十五節は、私は何時も「始終五節」と言う風に頂くんです。「始終(四十)」と言う事は何時もという事、「五節」と言うのは真ん中と言う事。教祖様のお言葉の中に「今中」という言葉がある。どう言う場合であってもこれで良いという事は無い、今中である始終五節である。そういう頂き方が出来る(でける)ところに、私は慢心が出る事もないでしょう、頭を下げる事を忘れる事も無いでしょう。これこれの事が出来たから、もう私も大したもんだという所に頭を下げる事を忘れる。
 福岡の姪浜という所に教会があります。福岡の出社です。大変、今もやはり御比礼が立っておるでしょうけれども、一時は大変な御比礼であった。ある記念祭を先生がお仕えになった時に、とにかくお米だけでも百俵近くあった。大した御比礼である。お祭りを仕舞われて神様にお礼を申され、そして霊神様にお礼を申される時に、本当にこれは姪浜教会も大した事であるなと、御大祭にお米が百俵も集まるなんて、まあだかってあちらこちら聞いた事もない程しの御比礼を受けられて、フッとそう思われた。途端に初代の吉木栄蔵先生が、「これから唐津に行くぞ。」と言うお声を頂かれた。もう以来唐津に日の出の様な御比礼が輝いたと言われております。所謂、吉木先生の言わばお弟子さんです姪浜は。唐津教会もやっぱりお弟子さんです。如何にその親先生の御威徳というか、天地の親神様から受けられた御信用というものが厚かったかと。それで「しまった。」と思われたけれども、もう取り返しがつかなかったと言われております。もう本当に油断。
私も大したもんだと、御神前に百俵のお米をお供え出来る程しの御比礼を頂いて、姪浜教会も大したことだと、それは言うなら自分の信心も大した事だという様なものがあったのでしょうね。吉木栄蔵先生のお声で、これから唐津に行くぞと仰った。唐津はそれを境に隆々たる御比礼。姪浜はそれからさほどにもない、まあ言うなら現在の姪浜という事でございましょうね。本当に此のやはり、信心に慢心と言う事はもう愈々慎まなければなりません。慢心と安心は紙一重と言われます。もうこれだけの事が出来たから安心だと思う心が、もう既に慢心である事になります。もうそしたらそれから先は大した事はない。
先日から、久富正義先生が所の奉斉式の時に、ああした見事な立派なお家が出来て、お神様も本当に教会にでもあんな元を入れたお広前はない御神殿はない、と思われる位に見事な神様を奉斉さし頂いた。けれどもその時私は、頂いた御理解がこの今中と言うことではなかったろうかと思うのです。明くる朝の御理解に日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂いて来た、まあ言うならば建設屋さんと言うても土建屋さんですから、まあ言うなればスコップ一丁から叩き上げた。おかげを頂いて日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂いてきた。敷地だけでも、もう一町以上からあるという程しのおかげを頂いて、念願であった二階におまつりしておった神様を、二階の六畳か八畳かの一室を神様のお部屋としてあった、それが今度言うならば本当にお神様のお部屋が出来て、お神様の念願が叶って思う通りの言わばおかげを頂いた。けれども私はこれがそのままであったら、もう久富先生の信心は言うならそれまでであったと思う。
明くる日の御理解に日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂いて来たけれども、これからは代勝りのおかげを受けなければならんという御理解を頂いて、その日お届けをされました。本当におかげを頂いて年勝りのおかげを頂いて参りましたが、これからは今日を境に一つ本気で代勝りのおかげの頂けれる信心をさして下さい、というお届けであった。代勝りという事はどういう事かと言うと、御神徳を受けるという信心です。言うなら昨日の桜の花の信心に依っておかげを頂いて来た、言うなら華やかなお仕事ですからおかげも受けて来たが、それは桜の花の信心で、いつ散るやら分からん。けれどもそれが梅の花の信心に移行して行った、変わって行った。あの奉斉式又は謝恩祭を境に、これからは代勝りのおかげを頂かなきゃならないという所にはもう限りがないのです。梅の花の信心、勿論花も咲くでしょう、鶯も来て止まるでしょう。そこから違う事は、言わば青いつぶらな実が実ることです。それが梅干しともなる事です。いつまで置いても悪くならん、いついつ迄も頂けるものという事なんです。そこで今までの信心とは、言うならもう掛かりが違うてきた、はまりが違うてきた焦点が違ってきた。言うならあの奉斉式を境に言うならばもうこれだけの事が出けた。もうそれこそ庭でもお家でもそうですが、日本一と言われる様な梅里先生のお庭が、もうそれこそ前庭、中庭、後の方ともう言うならばそういう見事な庭園も出来た。もう言う所がない。だったらもう普通であったならば、あれでもう慢心が出る所じゃないでしょうかね。もう言うなら、私も大したもんだと言う事になるのじゃないでしょうかね。皆さん、だから願いを愈々大きく持たなければいけないという事です。
「今中」という事は、どんな場合であってもこれで良いとかこれで済んだと思いませんという信心です。これで済んだと思いません、という否定も無からなければ肯定もないと言われておる教祖金光大神の信心です。これだけの事が出来たから有り難いと言うのじゃあなくて、どれだけの事が出来てもこれで済んだとは思いません。どうでも一つ、どの様におかげを頂いて参りましてもそのおかげも限りがない事ですから、勿論言わば御神徳の世界と言うたら、尚更限りがない事ですから。どこまでも限りないおかげに取り組ませて頂いたら、どういう事が成就致しましてもこれで済んだとは思いません。「今中」だと、今が真ん中だという考え方だと。そこに私は金光教の信心があると思います。今日は四十五節から「始終五節」という風に表現します。「始終五節」という事は何時もが真ん中だという考え方。だからもうこれだけ、これば一丁おかげ頂きゃ良かと言った様な信心は、えてしてそれがもう成就すると所謂もう済んでしまうわけです。もう安心だと思うとるけれども、それは安心ではない慢心だという事になります。そこでです、なら昨日、月次祭で聞いて頂いた様に合楽理念の根本は親孝行にあるという事です。親を大事にしない先祖を大事にしない、そして子供に親は大事にするもんだぞと先祖を大事にするもんだぞと、如何に言ったところで子供が言う事を聞く筈がない。親というものはこの様にも大切にしなければならないものぞと、先祖というものはこんなに丁重に扱わなければいけないぞと、いう事をして見せる訳ではないけれども、自分自身がその気になっておかなければならないという事です。そこでです、言うならこれは私の信心ですけれども、親に孝行したい、親に喜んで貰いたい、親に安心して貰いたいばっかりに言うなら北支あたりまでも渡らせて頂いた。それこそ一旗挙げて来たいという様な気持ちにならせて頂いた。それが裏腹になって、十年後に引き揚げて帰って来る時には、もうそれこそ却ってその親にお世話にならんならん様な状態で、言うならば帰って来た。もう目も当てられないと思うた。そこで神様にこの両親に安心して貰う、喜んで貰う程しのおかげを頂いたら、明くる日から元の木阿弥になっても文句は言いません、と言った様な強い祈りが出ける様になり、そこからこれ程しの願いをする事だからという信心が、私の信心が一変したという感じでした。そして信心を続けておる内にです、言うならば親の親があり、その又親があり、そして天地の親神様というところまでエスカレ-トして行ったわけです。だからそういう例えば行き方ですから、もう慢心の出ようがない。相手が天地の親神様を親として頂く信心なのですから、世界に言うならば、和賀心時代を広げて行こうという程しの願いになって来たのですから、神の願いを願いとして、そういう神の願いの成就のためになら一身を捧げようという事になって来たのですから、もうこれで良いという事があって良かろう筈がない。例えばブラジルにならブラジルに布教が出来たら、ブラジルと言うたらほんな南米の一部分なんです。なら南米というた所で、言わばまあだ世界中というのですから、もう限りがないのです。それをね、実感を以て祈られ感じれれるところに、さあもう合楽教会は南米にも布教した、なら末永先生段々御比礼を頂いて、まあ南米もあっちこっちに、ならもう日本人だけが相手ではない、南米の人達を難儀な人達を相手に、布教が出来る様にまあなったと致しましても、それで良いという事ではない。まあだ東洋だけでも行き渡っとらんし、ヨ-ロッパの方にもまあだ行き渡っとらんし、アフリカ大陸にもまあだ、まあだ種もホロ気も無いのが今の金光教なんです。
 私は昨日見えました楽の先生が、御夫婦で見えて、まあ本当になんでも同じですけれども、とにかく稽古という事の厳しさというものを昨日一日、此処の二十四、五人の楽人さん方が色々と教えて頂いた訳ですけども、その厳しさに触れて本当に何でも稽古というものは皆そうだなあと、自分の好き好みで一寸ね齧るといった様な稽古ならともかくだけれども、本当にその稽古に打ち込むならああいう姿勢がいるのだ。ましてや信心の上においては、その厳しさが無くなったらもうお終いだという様な感じが致しました。先生、夕食を一緒にさせて頂く時に、もう実は先生、こちらに泊めて貰うという事は考えておりませんでした。福岡にホテルに約束しておった所が、それが何かの手違いで席が取ってなかった。そこからあたかも合楽に泊めて貰おうという事で電話が掛かって参りましたから、昨日の晩から見えてお泊まりだった。そして昨日の朝の御理解を頂いて、私はもう本当に或る所で聞いた、合楽の信心は生き生きとした人は助かっておるけれども、あれは合楽教だという風に聞いて来たが、合楽教ちゃあどげな信心じゃろうかと思うて実は参りましたが、昨夜から皆さんの真心一杯の奉仕を受け、そして今朝の御理解を頂いて、そしてあの桜の花の信心から梅の花の信心、とりわけ私のお便所に入れてあるあやめとそれから菜の花と桂の、あの御理解を本当に素晴らしいと思いましたと。言う様な、ほほう合楽教成るほどそういう表現をしても、それは或る人は悪口で言うとるかも知れませんけれども、私は大変嬉しいと思うた。何故と言うて、今の金光教のあり方では助からんからです。今の金光教のあり方では、どんなに御比礼を頂いておる教会があると言うてもです、言うならば合楽理念の様なです、素晴らしい絶対と言うた様な真がないからです。只吹きまじないでどんどん人が助かっとった教会があったり、只人が助かっておるというだけで理念がないです。合楽の場合には、だからどういう宗教宗派を前にしてもです、私が末永先生に申しました事でしたけれども、南米ブラジルに行ったら彼方では創価学会、成長の家、それから何とかと言うのが卍巴にしのぎを削っているということですけれども、そのなら三つの宗教と、合楽で言うとる合楽理念とこうした時に、もう影が、相手が薄うなる位な内容を持ったのが合楽理念だよと、これをひとつ本当にマスタ-して南米に移るならば、これだけでもおかげ頂くと、私も確信持って言えれる位に素晴らしい事なんですよ。ですからそういう合楽理念が、なら金光教の信心の中に入って広めて行かなければならんと言う、私は成るほど合楽教というものはそんなにはっきり違うんだという事、教祖金光大神のあの信心の言わば真髄だという事。今までかって百何十年になる金光教がです、これ程しに金光教を説き明かした所は、一人もなからにゃ一軒もなかったという事なんです。という程しの、なら皆さんは教えを日々頂いとられる、その根本になるものが親孝行だという事です。けどもその親孝行というのはどういう事かと言うと、エスカレ-トして行かにゃいけんという事です。只肉親の親だけではいけんのです。親の又親、そして行きつまる所は天地金乃神様、所謂天地の親神様なのです。だから此の親神様のお心に添いたいという信心が出来て来たらです、もうこれで良いといった様な心は、私は起こらんのが本当だと思います。その場合には、例えば肉親の親に不幸の場合もあります、神の孝行をして親に不幸をし、そして後に親に孝行する氏子がある。親に孝行をして神に不幸をして、そして後に親にやっぱり不幸をしておる氏子があると、桂先生の御教えの中にあります様に、この親にと思うとったその親に、なら私が何年間かという間はもう大変な心配を懸けた。けれども私は、神様えの孝行が一生懸命出来ておったおかげでです、ならその後椛目、合楽を通してです、私は私が手ずからする撫ぜたり摩ったりすると言うおかげではないですけれども、神様が親孝行はさせて下さったという風に思うとります。自分のする親孝行じゃ大した事は有りません。けれども始めは自分がする親孝行から行かにゃいけません。先祖祭りでもやはり子供がせねばいけません。さあ親が肩が痛いち言うなら、揉んでやるのはやはり子供でなからにゃならん、嫁御じゃなからにゃでけんのです。だからそこを本当に親に孝行するという事が、こんなにも有り難いもんだという事が分かって信心を進めて行く内に、親の又親が分かって来るのです。そこにはね、私はどんなにおかげを頂いたと言うても今中どころではない、まあだ今駆け出しだという様な感じしかこれに残りませんから、慢心を起こす様な事は、所謂天で頭を打つ様な事はまずは無かろうと思うのでございます。やあ自分ももう大したもんだと思うた途端に、言うなら姪浜と唐津の話をさせて頂きました様に、もうあっという間である、しもうたともうお詫びした時は、もう遅かったと言う程しの事でありますから、一つ願いを、段々有り難い親え有り難い親えと、移行していけれる信心内容を身に付けて参りましたら、いつも今中の信心が出来て、しかも限りないおかげ日勝り、月勝り、年勝りのおかげではない、言うならそこから愈々代勝りのおかげに繋がって来る信心がある、という風に思います、どうぞ。